大和中学校の校章の由来

本校元教頭 副校長 鏡 孝晴   

       

大和中学校の校章は創立当初は大和小学校の延長でもあるから大和小学校の校章の桜の花に和中の文字を入れただけに過ぎなかった。それでは余りにも意味もなく面白くないからと、これを改正して本格的制定に取り組んだのが昭和23年である。大和小学校の延長であるからその校章の花を使い、また、大和中学校の仮の校章が桜の花に「和中」を入れてあるから、それを取り入れることには異論はなかった。私はそれを更に意義づけるためにその根拠をと思い、江戸時代中期の国学者で古事記伝の名著のある本居宣長先生のかの有名な和歌、

敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花

を思いつき山桜の花を取り上げた。山桜は花より葉が先に開くので、花に葉をあしらい、その上に「和中」の文字を冠することにした。しかも文字はそのままでは面白くないので、図案化することにした。それには当時中学生の憧れの的であった湘南高校の校章の「湘南」が文字だけで巧みに図案化された校章でよく出来ているので、これを参考にして起案した。それを当時大和中学校美術科教諭海老原茂先生(芸大卒)に委嘱した。先生は以上の根拠、原案をもとにして、工夫に工夫を重ねてデザインし創作された。ここに本格的に校章は制定されたのである。それが現在も続いて校章として徽章にも校旗にも使用されて大和中学校のシンボルとなっているのである。

(創立30周年記念誌より)