文ヶ岡小学校誕生の舞台裏 ~ 『創立30周年記念誌』より ~

 

 文ヶ岡小学校が誕生するまで、この地区に住む人たちは、草柳小まで徒歩あるいは電車で通学しました。学校では電車の乗り降りの指導、父母の人たちは通学の安全を見守りながら旗ふりをおこないました。この地区の人たちが草柳小に通っていた頃の児童数は、1000人をはるかにこえるマンモス校でした。そのため、教室が足らず、プレハブ校舎で授業を行いました。そうした状況の頃、「この地区に小学校を」という願いがかない、昭和55年に文ヶ岡小学校が開校しました。

 

 学校が建設される前のこの地は、芝畑、野菜畑等に囲まれていました。そして、この畑の所有者の方々が土地を提供してくださり、学校の建設が開始されました。その頃は現在のような三階建てのマンション等がなかったので、畑に立つと駅まで見渡すことができました。また、学校への道も舗装道路ではなかったので、雨が降るとぬかるみができたり、反対に雨が降らないと土ぼこりで大変でした。開校間もない頃は、校庭には緑もなく、地元有志、草友会等から寄贈された48本の樹木がPTAとの協力のもと、植樹されました。また、開校記念樹として桜が南門(プール側)に植樹され、そのそばに記念碑も建てられました。
 
地元の方はこうした活動をとおして、学校への愛着を表してくださいました。こうして、地域の方々による尽力もあり、文ヶ岡小学校が誕生しました。

                       創立10周年記念誌「文ヶ岡小のできるまで」より抜粋